2011年9月3日土曜日

『愛と奉仕』光の種をまこう!

みなさん、タイトルにびっくりされませんでしたか?『光の子として、生活せよ』これは、私が中学・高校と卒業した聖霊学園のモットーです。当時は「光の子として、アーメン」と、毎日祈りを捧げていました。同窓会だよりが届き、しばし、娘時代に、思いを馳せていました。現在の私があるのも、この教えのおかげだと感謝しています。当時は、今のように、ボランティアという言葉も使われておらず、慰問と言っておりました。自然と人に奉仕することに喜びを感じ、自分が人様のお役に立てることこそが、この世に生きている、生かされている意味だと、ありがたく、感謝しております。困っている人がいたら、手を差し伸べる。それが当たり前だと思って生きてきました。中学1年生から、病院慰問・施設慰問をするようになり、結婚後は、こどもと一緒に、特別養護老人ホームなどに、ボランティアに行きました。絵本や紙芝居の読み聞かせや、盆踊りの踊りを披露したり、和楽器の演奏に出掛けたりしました。
今、福祉の仕事に携わらせて頂けているのも、このおかげだと感謝しております。介護の仕事は、とかく嫌がられたりしますが、決してそうではありません。ご高齢者の皆様の生き様、人生そのものを学ばせて頂ける大変尊い仕事だと思っています。現に、私は、「こんな可愛い(外見ではなく、心のきれいな方)素敵な(考え方や生き方)おばあちゃんになりたい」と感じる方に大勢、出逢ってきました。
私は、よく両親から「徳(人徳)を積みなさい。」と言われています。徳は、一朝一夕には、備わりません。選挙で当選させて頂けたのも、決して私の力ではなく、周りの皆様のおかげであり、前回応援して下さった方々のおかげと感謝しております。「豆腐屋うさみ」と自転車街宣で回ったのですが、その認知度は、ご先祖様のおかげと感謝しております。築地から、遠くは、西福田まで移り住まれた方もいらっしゃり、「わしも、西築地小学校の卒業だよ。」とか「あんたんとこのおばあさんに、家の子は、5人も取り上げてもらったよ」などと声をかけて下さる方がたくさんおられました。私の先祖は、曾祖父母の時代に、埋め立てされたこの築地に移り住み、神社やお寺を興す一助をさせて頂き、二代にわたり、区政協力委員を務めさせて頂いた経緯があります。自分の家の商売の豆腐を作っている最中にでも、困ったと頼まれると出かけてしまう、そんな父の姿を見て育ったことも、現在の私がある原点の気が致します。ご先祖様が、善徳という種を蒔いていてくれたおかげで、今があるといえます。 今度は、私が、ぜひ、『光の種』を蒔き、安心して暮らして頂けるようなナゴヤにすることで、皆様にご恩返しをさせて頂きたいと存じます。
昨日、港区役所で、「港区交通安全総決起大会」が開催され、2部では、愛知県警の音楽隊の皆様が、演奏してくださいました。素敵な音色とカラーガード隊の演技に、心が洗われた気が致しました。たくさんの素敵な曲の中で、いきものがたりの「ありがとう」を聞いた瞬間、涙が止まりませんでした。3月の選挙の頃に流行っており、自転車街宣をしながら、9年前に応援して頂いた皆様の顔やお宅や、声をかけて下さった言葉までもが走馬灯のように浮かび、感謝の気持ちを込めて回らせて頂いたことを思い出したからです。あの時のご恩、そして今回のご恩、決して忘れません。この場をお借りして、こころよりお礼を申し上げます。皆様のおかげで、今の自分があります。
最後に、余談になりますが、聖霊学園が、毎年セントラルパークで、クリスマスコンサートを開催していることをご存じですか?私が、組長会(ちなみに聖霊ではクラス委員のことを組長と呼びます)で、提案させて頂いたことが、卒業してすぐに実現し、今では、クリスマスの日の地元ニュースでは、必ず放映されています。ちなみに、私が提案した時は、みんなから笑われ、相手にされなかったのですが、今では、それを見た親御さんたちが、「娘を、孫を聖霊に入れたい」と、入学のきっかけになっていると聞いています。このエピソードは、私にとって、政策実現への原動力になっている心の糧でもあり、原点だと感じています。ぜひ、市議会に生かしていきたいと存じます。