2011年12月22日木曜日

第1回うさみいく愛日帰り旅行を行いました!

「1台限定といいながらも、本音は、1台45名が集まるのか?」という不安を抱えての中、バス旅行の募集が始まりました。
おかげさまで、あっという間に1台が、満車になり、予想外の2台での出発となりました。

チラシも、私の手作りです!

11月定例会での個人質問の原稿と映像です!

映像はこちらから、ご覧ください!

http://www.nagoya-city.stream.jfit.co.jp/gikai_result.php?GIKAI=%CA%BF%C0%AE23%C7%AF11%B7%EE%C4%EA%CE%E3%B2%F1&DATE=20111129&CATE=%CB%DC%B2%F1%B5%C4%20%B8%C4%BF%CD%BC%C1%CC%E4https://docs.google.com/open?

原稿はこちらから、ご覧ください!

1.中途視覚障害の原因となる疾病予防のための眼科検診の重要性について
https://docs.google.com/open?id=0B1GHqIWjRIX1N2RjZGNjNmEtY2ZlMi00MjQ3LWIxN2EtNGQwNDBjMjA0ZDZj

2.きめ細かな防災対策について
(1)民間木造住宅の耐震対策
https://docs.google.com/open?id=0B1GHqIWjRIX1MDFlNzlkM2QtZjEzOC00YmMzLTliNjMtODAyYjYwZjcxMjI5
(2)家具転倒防止対策の取り組み
https://docs.google.com/open?id=0B1GHqIWjRIX1YmEzNmQ0OGItNWRiZS00NTRlLThiMjktM2MyODQ1NDhhMmEz

3.名古屋港の海上からの社会見学の実施について
https://docs.google.com/open?id=0B1GHqIWjRIX1MmE3MzQ4NTEtMjJjYi00YzA5LWE2Y2MtMWY5ZDkyNTAzNTZh

1.中途視覚障害の原因となる疾病予防のための眼科検診の重要性について  要望
https://docs.google.com/open?id=0B1GHqIWjRIX1ZWE0NzI5ODctNjZiNS00ZWQ4LWE3M2ItMmNkZmI5ZjhlY2Rl
.
2.きめ細かな防災対策について  要望
(1)民間木造住宅の耐震対策
(2)家具転倒防止対策の取り組み
https://docs.google.com/open?id=0B1GHqIWjRIX1ZTRkMDY4ZjUtOWQ4Mi00ODU5LTkwYTUtNTRhMWY0OTdkZjcz

3.名古屋港の海上からの社会見学の実施について  要望
https://docs.google.com/open?id=0B1GHqIWjRIX1ZjhlNmY3ODktYjgxMC00NDVlLWI5MTEtYTM3MzNiODg2NzQ4

うさみいく愛市政報告書3号を掲載します!

ココをクリックしてください!

うさみいく愛市政報告-表

うさみいく愛市政報告‐裏

2011年10月16日日曜日

陸前高田市長と議長来名により、名古屋市会議員総会が開催されました!

陸前高田市長と議長がご来名くださり、名古屋市会議員総会が土曜日に開催されました。
陸前高田市の戸羽市長より、以下のお話がありました。
こちらをご覧ください

2011年10月13日木曜日

減税条例が継続審査に!街頭で民意を伺うために、駅前辻立ちをしてきます!

9月定例会が閉会!河村たかし市長の1丁目1番地である減税条例が、またまた継続審査となってしまいました!
自民党・公明党さんは、21年度、減税に賛成をしてくださり、昨年は、減税が実施されましたが、残念なことに、一年に限って実施ということで、市民の皆様から、「減税さんに、投票したのに、税金があがっとるがね!」などという、お叱りやお問い合わせのお電話等をたくさんいただきました。
リーマンショックに始まり、景気の悪化が懸念されていた中、3月11日に、東日本大震災が発生し、絶対に安全だと言われた原発神話も崩れ、福島第一原発では、破局的事故が起きてしまいました。被災された皆様方に、心よりお見舞いを申し上げますとともに、今も、原発事故の修復に当たって下さっている作業員の皆様に、重ね重ね、感謝を申し上げます。
今、日本中が、景気の悪化により、個人所得が減少し、雇用情勢も悪化、生活保護費や医療費などの義務的経費の増加も避けられないのは、事実だと思います。東日本の復興支援も、国民みんなで、力を合わせて、やり遂げなければなりません。
しかし、こんな時だからこそ、減税をして、家庭の家計を少しでも、助けなければ、お金が回っていかないのです。
減税は、納税者への感謝の気持ちを表す究極のメッセージなのです。減税の原資は、100%行財政改革といって、税金の使い道を改めて生み出した、新たなお金でなくてはならないことが、法律で定められており、平成21年に厳しい審査を潜り抜け、総務大臣から許可を頂いています。来年度の予算も、行財政改革で、すでに生み出していると伺っています。行革から生み出した純粋なお金だからこそ、市民の皆様に市民税10%という形でお返ししたいと考えているわけです。
  新たな施策として「500円ワンコインがん検診」「学生定期券」「水道料金の最大1割値下げ」「ヒブワクチン、肺炎球菌ワクチン、水痘、流行性耳下すい炎、子宮頸がんワクチン」などの予防医療の推進、国民健康保険料均等割額3%の引き下げなどを行ったほか、この10月からは、6億円をかけて中学生までの医療費の無料を実施しました。特別養護老人ホームの整備に18億円、待機児童対策に3億8300万円、災害対策として、木造住宅の耐震改修工事費補助や公立小中高の体育館、幼稚園舎の窓ガラス飛散フィルムの貼り付け、避難ビル指定のための市営住宅屋上整備費、民間保育所耐震改修補助などなど、様々な施策を充実させるなど、河村市長の一人の犠牲者も出さないという並々ならぬ決意が、災害対策からも伺えます。決して、減税を実施したから、市民サービスが低下したのではなく、確実に市民サービスの向上に努めております。
わたくしは、介護の現場経験を生かして、市民の皆様の健康を守るため、また、医療費や介護保険料の増大を防ぐため、そして、ご家族の介護負担を減らすための施策を、中途失明という悲劇から市民の皆様を守るため施策を、市長に、先日、提案をさせて頂いたところです。それは、緑内障と加齢黄斑変性の早期発見・早期治療を目的とするための眼科検診施策です。これらの病気は、中高年の方に起こる代表的な目の病気で、自覚症状がなく、気が付かないまま進行し、最悪の場合、失明に至ることがある病気だからです。しかし、早期に発見し、適切な治療を受けることで、生涯にわたり目を守ることができる病でもあるからです。市長も、関心を持っておられましたので、ぜひ、実現に向けて頑張りたいと存じます。
最後に、こんな厳しい社会情勢の中、皆様の血税を頂く役所が、ノウノウと税金を無駄に使うわけにはいかないのです。厳しい財政の中から、知恵を絞って、より良いものを生み出すべきだと考えます。同じ痛みを分かち合ってこそ、市民の皆様から信頼され、より良い名古屋市政が築かれていくと思います。市民の皆様の政治不信を払しょくするためにも、庶民感覚を忘れることなく、財政福祉委員会でも発言していきたいと存じます。

2011年10月10日月曜日

9月19日地元学区敬老会においてご挨拶をさせて頂きました!

去る9月19日の地元敬老会での、ご挨拶時に、お隣の紀伊半島では、台風による山津波でできたダムの決壊が、今か今かと、心配されていましたので、私は、そのことについて触れさせて頂き、いつ起こるかわからない災害の被害を最小限に抑えるための、地域防災計画にも、触れさせて頂きました。先日の9月定例会での、わたくしの発言を踏まえ、木曽川水域の飲み水や市民の皆様の生命財産を『放射性物質の拡散』という、目に見えない新たな災害からも守れるよう、提案をさせて頂いた経緯で、国や県、専門家などとも連携をとりながら、名古屋市の地域防災計画に、盛り込まれることになったことを、報告をさせて頂きました。

「津波てんでんこ」についても、お話をさせて頂きました。「津波てんでんこ」とは、もうご存知だと思いますが、東北地方の方言で「てんでばらばらに」とい意味で、「津波が来たら、肉親を構わず、各自てんでばらばらに一人で逃げろ!」という言い伝えです。津波は、到達が早く、家族を構っていると、逃げ遅れるからです。「一族を存続させるため」また、自分自身が助かり、他人を助けられなかったとしても、非難をしない、生き残った者が悔やんで暮らすことがないように、暗黙の了解の意を含んでいるとされています。これらのことから、子孫への、先人たちの深い思いやりと愛情を感じずにはおられず、わたくしたち若者が、先人たちの教えをもっと乞うべきであることをお話しさせて頂きました。
会場の皆様おかれましても、次の世代を担う子供たちに、ぜひ、戦争の恐ろしさ、愚かさ、伊勢湾台風の教訓など、ご自身が経験されたことを、教授して頂きたいとお願いをしました。

我が西築地学区は、三世代で、学区行事に参加して頂けるご家族も多く、今、最も必要とされている家族の絆の強さを肌で感じることができる貴重な学区でもあります。わたくしも、この学区に生まれ育ちましたことを誇りに思い、より一層、安全で安心な街づくりをめざし、全力で、市政に取り組んでまいりたいと存じます。

9/30守山区庄内川水害被災地視察に行ってきました!

今年は、全国各地で災害が続き、とうとう名古屋でも、庄内川が溢れてしまい、水害が起きてしまいました。
あの大雨の中、庄内川に沿って、何キロも続く、大型土嚢袋や川沿いの会社の窓ガラスや塀の泥跡を目の当たりにし、守山区民の皆様の不安や企業様の並々ならぬご苦労が伝わってまいりました。付近の会社は、社員や関係者総出で、壊れたパソコンや機械などの撤収や泥掃除などに追われておられ、本当に当日の爪痕のすごさが伝わってまいり、掛ける言葉を失ってしまったほどでした。また、本市の消防局の職員さんは、もちろんのこと、ボランティアで活動下さっている消防団の皆様のご尽力に、心より感謝申し上げますとともに、今後の活動時の安全をお祈り申し上げます。

築地商店街でのわっしょい太鼓の取材がYouTubeに!

10月1日にJC主催でナゴヤドームで行われました『わっしょい太鼓祭』の関連イベントが築地口商店街で開催され、応援に行ってきました。10代の若者から60代?まで、とてもいきいきと活動をされており、その中には、子どもの同級生のお母さんや私の同級生も参加しており、びっくりするやら、羨ましいやら、一糸乱れぬ太鼓の素晴らしさに大興奮しておりました。そこに、突然取材を受け、全国でも有名なお祭りになるよう、みなと祭りのより良い開催のあり方についても、話しています。
ぜひ、ご覧ください。
http://www.youtube.com/user/nagoyanow?feature=mhee#p/a/u/0/WJdx5HLp7O8

9月定例会での個人質問の原稿と映像です!

下記をクリックしてください! リンクにつながります。

原稿はこちらから  9月定例会

質問通告
1.「本市における放射性物質に対する危機管理対策について」

2.「自然エネルギーの普及に向けた本市の考え方について」
名古屋市議会インターネット中継がご覧になれます。

http://www.nagoya-city.stream.jfit.co.jp/gikai_result.php?GIKAI=%CA%BF%C0%AE23%C7%AF9%B7%EE%C4%EA%CE%E3%B2%F1&DATE=20110916&CATE=%CB%DC%B2%F1%B5%C4%20%B8%C4%BF%CD%BC%C1%CC%E4


太陽熱温水器は、ダイワハウスもコマーシャルを始めました!

前回は、会派の持ち時間が大量に余ってしまったため、会派を背負って、長丁場となりました。
にもかかわらず、今回は、とにかく会派の持ち時間が無くなってしまったため、時間短縮して欲しいとの指示のもと、原稿作成にも取り組みましたが、当日になって、更に時間がないことが判明してきたため、とにもかくにも早くと、焦ってしまい、前回よりも上がってしまいました。噛み噛み続きで、更に焦り、負の連鎖でした。普通に練習するときは、躓かないようなところで、噛んでしまったり、突然おかしなイントネーションになってしまうのには、自分自身が何より、驚かされました。ヤジに動揺しない方法と落ち着いて集中できる方法を早く、身に着けたいと思います。
他会派議員の堂々たる発言に、本当に頭が下がります。一歩でも近づけるよう、頑張りたいと思います。お聞き苦しい点をお許し願います。

2011年10月6日木曜日

個人質問初挑戦で、名古屋市初の津波避難ビルのための設計変更が実現!

6月定例会にて、個人質問させて頂いた「新斎場(地域交流センターを含む)の津波避難ビルとしての活用」の要望がかない、屋上の柵や外階段の取り付け、内部設計の一部見直し、屋上部分に人が上がれるように荷重の見直し等がされることとなり、屋上への避難が可能となる設計変更がされることになりました。隣接する地域交流センターは、これまでは、なるべく目立たないようにとのご要望で、二階建ての高さでの設計でしたが、地元住民の皆様のご了承を得て、大幅な設計変更を行い、高さを4階建てまで高くすることとなり、津波避難ビルとしての機能も加わることとなりました。ひとつ、残念なのは、4階フロアになるわけではないとのことで、もったいない気が致します。私としては、延べ床面積も増えれば、地域の方の交流・活用のスペースが増え、更に喜んで頂けるのではと考えたからです。しかしながら、追加予算が生じることは、避けられない中、これだけの大幅な設計変更を受け入れて下さったことに、心から感謝申し上げます。
この新斎場の建設予定地は、海抜ゼロメートル地帯で、伊勢湾台風時にも甚大な被害が出たところであります。地震被害においては、液状化は避けられないかと思われます。私は、委員会等においても、地震や津波に対する、地元住民の不安な気持ちを再三にわたり、当局にお伝えしてきました。東日本大震災を踏まえ、果たして本当に、大震災に耐え得るだけの耐震性があるのか?大丈夫とおっしゃるのならば、地元住民の皆様方からの要望が多い、津波避難ビルとしても、使えるようなものにして欲しいとお願いをしてきた経緯がありました。こうして、議論をしている間にも、災害が起きるかもしれないことをお伝えし、新規津波避難ビルの建設は、もちろんのこと、津波避難ビルとなる建物がほとんどない状況にあるこの地区において、現在、本市が一番早く、この地区で建設に取りかかる新斎場(地域交流センターを含む)を津波避難ビルとして頂けるよう、私は、今回、個人質問の議題に上げ、強く要望をさせて頂きました。
新斎場の建設は、健康福祉局の管轄で、津波避難ビルは、消防局の管轄であるため、管轄が異なることを理由に、他の委員も当局の職員も、当初、全く、相手にして頂けませんでした。また、ごく一部の方からは「バカにするな!」とお叱りを受けたり、「薄気味が悪い」というご意見も頂きました。むしろ、私は、死者を敬う思いを込め、非常時には、上に上がらせて頂くという気持ちでした。ですから、全くと言っても過言ではないくらい、この地域には、津波避難ビルとなる高い建物がないため、「とにかく、逃げれるところを!」と藁をもすがる思いで、強いご要望のお電話ををたくさん頂いた、その皆様のお気持ちを無にしないためにも、訴え続けました。当選をさせて頂いた時に、議員として、市民の生命・財産を守ることが使命であると自分自身が心に誓ったこと、「一人の犠牲者も出さない」とおっしゃった市長の思いを信じ、どんなに笑われようが言い続けてよかったとつくづく、今、思っております。
もちろん、これは、使わないことに越したことはなく、万が一の災害に備え、耐震性に優れた避難箇所がひとつできるという安心材料として、受け止めて頂ければと存じます。
これをきっかけとして、私は、ぜひとも、今後、本市が取り組む被害想定区域の建設物件は、耐震性はもちろんのこと、津波避難ビルとしての機能を兼ね備えることが必須条件となるよう、要望していきたいと思います。

原稿はこちらから 6月定例会

質問通告

1.介護保険制度をめぐる現状と課題について


(1)特別養護老人ホームの優先入所および名簿の名寄せ
(2)定期巡回・随時対応型訪問介護看護の受け入れ体制について

2.新斎場の津波避難ビルとしての活用について
3.名古屋港伊勢湾クルーズの必要性について
・・・小学生の海上からの社会見学・・・ 



名古屋市議会インターネット中継は、 http://www.nagoya-city.stream.jfit.co.jp/gikai_result.php?GIKAI=%CA%BF%C0%AE23%C7%AF6%B7%EE%C4%EA%CE%E3%B2%F1&DATE=20110701&CATE=%CB%DC%B2%F1%B5%C4%20%B8%C4%BF%CD%BC%C1%CC%E4

2011年10月5日水曜日

やっと、うさみいく愛市政報告書裏面をご覧いただけます!

おまたせ致しました。

下記をクリックして、拡大してご覧ください!

市政報告2号-裏

現在、9月定例会中にて、ブログの更新がなかなかできずに、本当に申し訳ありません(涙)
財政福祉委員会の健康福祉局と病院局にて、いろいろ発言させて頂いています!

今日は、『証拠書類検査』があり、物々しい雰囲気の中、執り行われました。
介護保険や障がい者の認定申請をする際、主治医がいない場合、市や区が診察代を肩代わりしていることや、市役所で、大量に新聞を購読しているのですが、それぞれの局での清算になっており団体割引のようなものがないことなど、山のような書類の中から新たな発見をしました。
気になることや疑問点を、当局にお尋ねし、大変勉強になりました。

減税低所得者対策の案を提出したりと、本当に、毎日があっという間に過ぎてしまいますが、
何とか、頑張っています!

今は、10月6日(木)午前1時39分です。
今日も3時間弱しか寝る時間がありません・・・。

2011年9月15日木曜日

遅くなりましたが 『うさみいく愛市政報告書』 第2号を掲載しました!

大変遅くなりましたが『うさみいく愛の市政報告書』第2号 8月15日に作成したものですが、やっと、掲載をさせていただきました。
というのも、パソコンが得意な方にお願いしても、エラーが発生してしまい、手惑いました。
せっかく、河村たかし代表が来てくださったにもかかわらず、市政報告会開催の告知ができず、
本当に申し訳ありませんでした。

うさみいく愛市政報告は以下のリンクからご覧ください。

大きく拡大すると見れます。
市政報告2号-表

裏面は、今しばらく、お待ちください!

2011年9月13日火曜日

9月定例会で2度目の個人質問に挑戦します!

 私の個人質問の時間は、9月16日午前と決まりました。テーマは「自然エネルギーの普及拡大に向けた本市の考え方について」と「本市における放射性物質に対する危機管理対策について」です。
実は、9月議会で、減税議案が提出されることになり、個人質問は、諦めなければならないかと一旦は考えたのですが、逆に、俄然ファイトが湧いてきて、勢いが付き、8月中に書き上げてしました。ところが、条例化を見据えたスケールの大きい提案には、答えようがないとの回答を頂き、9月8日(木)と9日(金)は、朝まで市役所で、原稿の仕切り直しをしました。夢中でやっていて、明るくなったなぁとは感じていたものの、まさかのディサービス出勤時間が迫っており、シャワーだけを浴び、慌てて向かったという状況でした。
自然エネルギーには、以前より関心が高く、名古屋港管理組合の港営委員会の中でも、風力発電の採算性についてと、今後の名古屋港の自然エネルギーの取り組みについて、質問をさせていただきました。また、名古屋市議会の特別委員会も、環境・エネルギー問題対策特別委員会に所属をさせて頂いています。
 個人質問をする前から、福島原発問題の国の対応に憤りを感じ、10冊近い原発関連の本を読んでいました。今回、質問するに当たって、更に15冊ほど読み込み、インターネットで調べたり、東京都庁のエネルギー担当者様にも、直接問い合わせをし、素朴な疑問から専門的な内容まで、質問をさせて頂き、本当に勉強になりました。調べれば調べるほど、疑問も興味も湧き、エンドレス状態です。
市民の皆様のためになる政策の実現のために、市民目線で、挑んでまいりたいと存じます。ベストが尽くせるよう頑張ります。
 

名古屋港管理組合60周年記念式典に参列させて頂き、感無量!

9月8日名古屋港管理組合60周年記念式典に参列させて頂きました。今日から、管理者が河村たかし市長から大村秀章知事に代わりました。
市長は、来賓として招かれ、ご挨拶をされたのですが、その中で、「名古屋港の海上からの社会見学の実施」に向けて、いい方向に向かっていることを発表して下さいました。これは、私が、6月定例会の個人質問で提案させて頂いた政策が実現に向かっていることであり、議員としてこれほど嬉しいことはないと言えます。皆様がご協力して下さっているということは、内々には伺っていましたが、公的なしかも、60周年という記念すべき日に発表を頂き、感無量といった心境でした。本当に名港海運の高橋会長をはじめ、市長や関係者の皆様方に心より感謝申し上げます。
記念式典のセレモニーで名古屋港の歴史のスライドが流され、先人の先見の目に改めて、敬意を表すとともに、その努力の結果によって、今の名古屋港があることに感動を覚えました。幼いころの懐かしい名古屋港の風景などもあり、夢中になって見入っていました。ポートビルや水族館は、私が娘時代に完成し、ガーデンふ頭の目まぐるしい発展とともに成長してきた自分の歴史とも重ね合わせ、感慨深いものがありました。今後も、先祖から移り住んだ学区住民の一人として、名港議員として、市会議員として、名古屋港の発展のために微力ながら、全力で取り組んでまいりたいと存じます。
記念講演会を拝聴し、終了後、高橋会長に、勇気を出して、記念写真の撮影のお願いをし、快くお受け下さり、最高の記念となりました。

名古屋港管理組合特別委員会に出席後、港湾視察に参加!

9月6日午前は、港区老人クラブ グランドゴルフ大会開会式に参加。その後、港区学童保育連盟さんの請願依頼を受け、その足で、名古屋港管理組合の特別委員会に出席。「国際競争力の強化に向けての取り組みについて」話し合われました。
特別委員会終了後すぐに、港務艇にて、名古屋港管内を海上から視察。金城ふ頭からは、バスで鍋田埠頭まで視察。世界初のレールのないガントリークレーンや無人コンテナ車の動きを屋上から視察させて頂きました。その規模の大きさと正確な動きに、良い意味で、まるで、トミカのおもちゃを見ているかのような錯覚さえ覚えるほどでした。また、ガントリークレーンを操作する様子を見せて頂き、逆に単純作業に見えてしまう手さばきとは、裏腹にいくつものモニターを瞬時に同時に、把握、確認をしている姿にびっくりさせられました。こんなところを、ぜひ、子供たちに見せてあげたいと思い、勇気を出して、質問をしたところ、小学生から大人まで、見学をオープンに受け入れていらっしゃることを知り、更に、6月定例会で個人質問をさせて頂いた「子供たちの海上からの社会見学」の実現に向けて、意欲が湧いてきました。

健康福祉局 所管事務調査にて福祉施設の看護職員不足を提案!


9月7日、健康福祉局 所管事務調査にて「今後の名古屋市の看護職員確保対策について」委員会が開催されました。
市内の看護師養成施設が5年間で1.3倍に増加したことを受け、今後、名古屋市では、官民の役割分担の観点から、潜在看護職員の活用や定着促進・離職防止に重点を置いた看護職員確保対策の総合的な推進を行うことを発表しました。 
そこで、中央看護学校の卒業生の進路が、市内に留まらない理由のひとつとして、奨学金制度などの実施について質問させて頂きましたが、本市では、実施していないことがわかりました。
養成校・養成施設の学生が270人増えたことを踏まえ、以前病院局でも問題になっていた実習の受け入れが難しい件を指摘し、健康福祉局としては、その点について、何か対策や指導などを行っているのかを質問しました。これは、現実的な問題で、ただでさえ人手不足の医療・福祉で勤務する受け入れ側と、養成校とのはざまで、右往左往させられる学生さんのためにも、ぜひ、実りある実習ができる環境づくりが責務であると考えます。実習時の印象が、その後の就職先を変えてしまうほどの意味を持つことを、早く、本市も気づくべきであると思います。養成校を増やす段階で、解決しておかなければならない課題であったといえます。
他党議員より、夜勤ができる看護師不足という深刻な問題提起がなされました。福祉で働く立場から発言をさせて頂き、夜勤が必要な福祉施設の看護師不足はもちろんのこと、ディサービスでも、いくら募集しても集まらないことや、二人体制での勤務で、一人が急病などで勤務できなくなった場合は、介護報酬の法的人員の確保の面からも、運営に支障をきたす状況であることをお伝えしました。看護職員の復職支援講習を募集する際、講習内容を、医療機関を目指す方には、注射の仕方などをはじめ徹底した医療内容の復習や最新医療の内容を学ぶ医療機関コースとし、逆に福祉施設などを希望する方には、高齢者の心理や言葉使いなどの配慮の必要性などを学ぶ福祉系コースなどといった、目的別に、いくつか難易度を分けて、支援していく必要性があることを強く訴えさせて頂きました。

環境保護と省エネのヒントが盛りだくさん!藤前干潟活動センターと野鳥観察館を視察!

 今回、訪問に至った最初のきっかけは、台風後の海の様子や堤防の様子などを見るために、現地に足を運んだのですが、こんもりとした木々に囲まれた藤前活動センターに、不思議と吸い込まれるように入らせて頂きました。子どもたちの手作りの展示物など、見るものすべてが、新鮮で夢中で、時間を忘れ、展示物に見入っていました。、我が子たちも平成14年に、この藤前干潟で、「不思議な生き物を探そう!」といったイベントに参加させて頂いた時のことなどを、思い出しました。
ここの建物の屋根には、草が敷き詰められており(生えさせている)、、この草屋根によって、自然を上手に利用し、冷房にかかる電気を減らしています。①「草屋根」は、環境にやさしい建物の工夫のひとつだそうです。屋根を緑化すると、植物が直射日光を遮って過ごしやすい室温に保つことができます。また、植物から水分が蒸発するときに、熱を奪うため、周囲の温度を下げる効果も持っています。環境にやさしい建物の工夫②「クール&ホットチューブ」・・・地中の温度は、季節や天候の変化を受けにくく、年間を通じて焼く15℃です。チュ-ブの中の空気は、地中の温度に近く、夏は冷たく、冬は暖かくなります。この建物では、チューブの空気を利用して、冷暖房にかかる電気を減らしています。③屋根には、太陽光発電パネルが設置されています。④電気のスイッチ部分に表示してある「ロスナイ」 ・・・無駄のない換気扇のこと
干潟があると、夏では、干潟の生き物が赤潮(植物プランクトン)を食べ、海水を浄化してくれる役割を果たしています。秋には、青湖水が広く分散し、空気中の酸素を吸収して、被害を少なくしてくれます。逆に、干潟がない場合、夏では、埋め立て地から排出されるリンや窒素を含んだ排水が表面を覆い、その下に赤潮が大増殖し、有機物が海底に落ち、ヘドロから硫化水素が発生し、無酸素状態になり、魚が住めなくなる。秋には、北西風が吹き、無酸素水が海底から水面に上がり、循環するため、生き物が死滅してしまうとのことです。至る所に、エコ・省エネのアイデアがあり、9月定例会で、個人質問するテーマでしたので、本当に勉強になりました。
 センター内では、葦からすだれを作られていた歴史や作り方などが紹介されていたり、名古屋港の歴史なども、子供たちの手作りの掲示物なども貼り出されていました。昔、干潟で行われていた地ガキの漁の方法のかわいい手作り模型などの展示もありました。
双眼鏡で自由に干潟を眺めることができようになっており、藤前干潟で見られる鳥たちが掲示されていました。たくさんの鳥たちの中でも、一際、目を引く真っ白な鳥を見つけ、見入っていました。
このセンターでは、月ごとにいろいろなイベントを実施されており、私が、一番興味を持ったのは、2月の「おいしい海苔を作ろう!」です。
隣の建物には、野鳥観察館があり、可愛いお孫さんを連れた若いおじいちゃんがいらっしゃり、その小さな4歳くらいの子が、一生懸命、双眼鏡から覗いてみては、おじいちゃんに教えてあげる様子が何とも言えず、微笑ましい光景でした。2階では、中京大学の学生さんが団体で利用されていて、館長が丁寧に解説されていました。私が、来館すると、すぐさま、「今日の珍しい鳥は・・・」と双眼鏡の向きを合わせてくださり、覗いてみるとさっき、隣のセンターで釘付けになっていた『クロツラヘラサギ』という鳥で、本当に運がいいとのことで、とても充実した視察となりました。

ちなみに、「藤前干潟」は、20021118日にラムサール条約に登録されました。藤前干潟には、鳥や鳥の餌となるカニ・ゴカイなど、多数の生きものが生息しており、生物多様性豊かな場所です。この場所を保全するため、市民や他行政機関と連携しながら、様々な取組が行われています。ぜひ、皆様も、足をお運びください。

『携帯を変えたから、登録をしておいてね!』振込サギにご注意ください!

  9月6日港区老人クラブのグランドゴルフ大会があり、開会式に出席させて頂きました。総勢495名が参加されましたが、どなたもとてもお元気で、皆様の表情は、とてもいきいきと輝いていました。老人クラブという名称とは、ほど遠い方々で、私も、あんな風に、たくさんの友人や仲間に囲まれた、健康で楽しい生き甲斐のある老後を過ごしたいと、改めて感じました。
 港署の方が、ごあいさつで「『携帯電話を変えたから、登録をし直してね!』という手口の振込サギが流行っているいます。ここにいらっしゃる皆さんには、関係ないですが・・・」と話始められ、「なぜ?」とふと感じたのですが、それは、閉じこもりや仲間や友人がおられない方は、どうしても、相談する相手がなく、新しい情報や話題に疎くなりがちで、犯罪に巻き込まれることが多いことからの表現でした。
 「そんな手口に騙されるなんて」って、思っていらっしゃる方いませんか?私は、選挙中に、新しい方から次々に電話がかかり、ある方の携帯番号を誤って、他の方の名前で、登録をしてしまい、「もしもし●●さん!」って、電話を出てしまい、失礼をしてしまった経験があります。ナンバーディスプレーを信じ込んでしまった自分に、はっとしました。「これが、振込サギだ」と思いました。思い込みって怖いですよね。機器が発達したおかげで、人間が操作されてしまい兼ねません。みなさんは、こんな経験はないですか?くれぐれも、自分だけは引っかからないと、過信しないでくださいね。
 まさしく、人と接することの大切さ、地域のコミュニティの大切がしきりに叫ばれるようになりましたが、本当に、昔のような原点に戻る時期がきたのだと考えます。防災もしかり、ぜひ、わたくしも、その一助をさせて頂くために、更なる努力を続けて参りたいと存じます。

うさみいく愛市政報告会に河村たかし代表が来場くださいました!

9月3日うさみいく愛事務所において、河村たかし代表が来場し、第2回目の市政報告会を開催することができました。台風の進行スピードが予想以上に遅れたおかげで、無事、開催することができ、そんなお天気の中でも、30名ほどの方々が、足を運んでくださり、本当に感謝の気持ちでいっぱになりました。
市長の滞在が15分くらいと思っていたところ、減税について1時間30分近く、熱く語ってくださり、会場の皆様も、市長の話に、、時折大笑いをされたり、大盛り上がりのとても楽しい、あっという間の有意義な時間を過ごしていただくことができました。ご来場頂いた皆様方に、心より、感謝申し上げます。
市長が、あんなにノリノリで話されることは珍しいと、同行した秘書さんも「新ネタ入りで、今日は楽しかった!」とびっくりしていたほどでした。
終了後、市長の「大衆居酒屋はどこだゃぁも?」のリクエストにお応えし、近くの「むらさき」さんに同行。市長が、地元の同窓会の会場に、飛び入りで入られたため、みなさんがドッキリカメラの取材にでも出くわしたかのように、一瞬固まり、何が起きたかわからない状態でした。その後は、若い子たちが一斉に市長を囲み、店中が、写メの嵐状態になり、お祭り騒ぎで大盛り上がりとなりました。若者一人一人に「立派になってくれよ!」と肩をたたいては声をかけ、お店に来ていたお客さんも、店員さんも、みなさんが大喜びでした。おかげさまで、市長も、港をとても気に入ってくださり、上機嫌でご帰宅されました。とにかく、市長の人気のすごさには、改めてびっっくりさせられました。(市長!お疲れのところを、わざわざ、お越しをいただき、本当にありがとうございました。感謝の気持ちを忘れず、政策実現などでご恩返しをしたいと存じます)

2011年9月3日土曜日

『愛と奉仕』光の種をまこう!

みなさん、タイトルにびっくりされませんでしたか?『光の子として、生活せよ』これは、私が中学・高校と卒業した聖霊学園のモットーです。当時は「光の子として、アーメン」と、毎日祈りを捧げていました。同窓会だよりが届き、しばし、娘時代に、思いを馳せていました。現在の私があるのも、この教えのおかげだと感謝しています。当時は、今のように、ボランティアという言葉も使われておらず、慰問と言っておりました。自然と人に奉仕することに喜びを感じ、自分が人様のお役に立てることこそが、この世に生きている、生かされている意味だと、ありがたく、感謝しております。困っている人がいたら、手を差し伸べる。それが当たり前だと思って生きてきました。中学1年生から、病院慰問・施設慰問をするようになり、結婚後は、こどもと一緒に、特別養護老人ホームなどに、ボランティアに行きました。絵本や紙芝居の読み聞かせや、盆踊りの踊りを披露したり、和楽器の演奏に出掛けたりしました。
今、福祉の仕事に携わらせて頂けているのも、このおかげだと感謝しております。介護の仕事は、とかく嫌がられたりしますが、決してそうではありません。ご高齢者の皆様の生き様、人生そのものを学ばせて頂ける大変尊い仕事だと思っています。現に、私は、「こんな可愛い(外見ではなく、心のきれいな方)素敵な(考え方や生き方)おばあちゃんになりたい」と感じる方に大勢、出逢ってきました。
私は、よく両親から「徳(人徳)を積みなさい。」と言われています。徳は、一朝一夕には、備わりません。選挙で当選させて頂けたのも、決して私の力ではなく、周りの皆様のおかげであり、前回応援して下さった方々のおかげと感謝しております。「豆腐屋うさみ」と自転車街宣で回ったのですが、その認知度は、ご先祖様のおかげと感謝しております。築地から、遠くは、西福田まで移り住まれた方もいらっしゃり、「わしも、西築地小学校の卒業だよ。」とか「あんたんとこのおばあさんに、家の子は、5人も取り上げてもらったよ」などと声をかけて下さる方がたくさんおられました。私の先祖は、曾祖父母の時代に、埋め立てされたこの築地に移り住み、神社やお寺を興す一助をさせて頂き、二代にわたり、区政協力委員を務めさせて頂いた経緯があります。自分の家の商売の豆腐を作っている最中にでも、困ったと頼まれると出かけてしまう、そんな父の姿を見て育ったことも、現在の私がある原点の気が致します。ご先祖様が、善徳という種を蒔いていてくれたおかげで、今があるといえます。 今度は、私が、ぜひ、『光の種』を蒔き、安心して暮らして頂けるようなナゴヤにすることで、皆様にご恩返しをさせて頂きたいと存じます。
昨日、港区役所で、「港区交通安全総決起大会」が開催され、2部では、愛知県警の音楽隊の皆様が、演奏してくださいました。素敵な音色とカラーガード隊の演技に、心が洗われた気が致しました。たくさんの素敵な曲の中で、いきものがたりの「ありがとう」を聞いた瞬間、涙が止まりませんでした。3月の選挙の頃に流行っており、自転車街宣をしながら、9年前に応援して頂いた皆様の顔やお宅や、声をかけて下さった言葉までもが走馬灯のように浮かび、感謝の気持ちを込めて回らせて頂いたことを思い出したからです。あの時のご恩、そして今回のご恩、決して忘れません。この場をお借りして、こころよりお礼を申し上げます。皆様のおかげで、今の自分があります。
最後に、余談になりますが、聖霊学園が、毎年セントラルパークで、クリスマスコンサートを開催していることをご存じですか?私が、組長会(ちなみに聖霊ではクラス委員のことを組長と呼びます)で、提案させて頂いたことが、卒業してすぐに実現し、今では、クリスマスの日の地元ニュースでは、必ず放映されています。ちなみに、私が提案した時は、みんなから笑われ、相手にされなかったのですが、今では、それを見た親御さんたちが、「娘を、孫を聖霊に入れたい」と、入学のきっかけになっていると聞いています。このエピソードは、私にとって、政策実現への原動力になっている心の糧でもあり、原点だと感じています。ぜひ、市議会に生かしていきたいと存じます。

2011年9月2日金曜日

埋め立て地に建設した海を望む特別養護老人ホームの液状化対策について視察してきました!

8月31日は、芦屋市の埋め立て地に建設された特別養護老人ホーム「愛しや」にお邪魔をし、視察、聞き取り調査、トイレ介助・傾聴ボランティア活動もさせて頂きました。敷地のすぐ際には、穏やかな海が広がり、行きかう船や空の青さは、一日眺めていても飽きないかと思われるほど、素晴らしいロケーションが広がっていました。しかしながら、液状化が懸念される場所での経営の乗り出しに、大変興味が沸き、東日本大震災を目の当たりにし、新たな防災対策への取り組みなどを施設長さんにお伺いしてきました。
この施設の経営母体は病院で、神戸市などにも十数件の施設を経営されておられます。今後、介護保険制度がどのように変わったとしても、ずっとここに住み続けられるような施設をという理念で建設・設計されたそうで、とても落ち着いたいい造りになっていました。一見、有料老人ホームと勘違いしてしまうほど品の良い造りで、カントリー調の無垢の床材などが使われているところも、、センスが良く、自宅にいるような感覚が保たれているのだと感じました。更に、建設費や土地の購入費など、施設の経営に至るまで、興味を抱き、質問をさせていただきました。
その後、メリケン波止場に保存してある、阪神淡路大震災の護岸の被災現場を視察し、1メートル近い地盤沈下の様子や液状化を目の当たりにしてきました。
ここの施設は、埋め立ての人工の島ポートアイランドにも、施設があり、そこには、大学が4校も進出し、お互いに利点を生かして連携した教育研究を行うことにより、一層地域社会に貢献するということを目的として、キャンパスが建設され、注目を集めています。当初、この施設が、神戸市から提供された土地は、残念ながら、広大な市営臨時駐車場の一角の未活用の土地でした。このアスファルトだらけの街区を新しい福祉・医療を担うゾーンとして作り上げるために、その核となったのが、この施設だったと伺い、更に感動を覚えました。
防災に強い街となり、安心して暮らして頂ける名古屋港にし、こんな素敵な街を作りあげたいと、夢と希望が湧いてきました。さっそく、本日、追加質問のため、神戸市役所や特別養護老人ホーム『愛しや』、介護老人福祉施設『ぽー愛』に、お礼のご挨拶を兼ね、お電話をさせていただき、更に、踏み込んだ内容を聞かせて頂きました。ご回答は、1週間ほどかかるとのこと、また、その内容は、ブログで報告をさせていただきます。

画像が横向きで、貼り付けの位置もズレてしまい、お見苦しくて申し訳ございません。

2011年9月1日木曜日

2012年改正介護保険法について座学してきました!

8月30日は、神戸の三宮まで、セミナーを聞きに行ってきました。国が、まだ、詳細を示さない中、段々わかりつつある内容ではありますが、今回のセミナーは、事業所を対象でしたので、ケアマネ対象の東京で聞いた白澤政和教授のセミナーを更にリアルに踏み込んだ内容でした。名古屋は、やはり、遅れており、このような国の動向を先読みしたセミナーは行われておらず、この数か月先でも開かれる予定もなく、この違いにも驚かされます。
セミナーの内容は、今後の介護保険を取り巻く状況についてをはじめ、介護サービスの基盤強化のための介護保険法等の一部を改正する法律について等、ひとつひとつ掘り下げて学んできました。国は、施設から在宅介護へと方針を変え、地域のコミュニティーが保たれ、更に効率の良いサービス提供のために、医療と介護の連携を図るべき、改正を行いました。重度の在宅介護者の受け入れができるよう、方向性を示してきました。
にもかかわらず、介護職員処遇改善交付金も来年3月で終了する可能性が大であり、介護報酬も下がることが予想される中、痰の吸引や経管栄養などが介護福祉士でもできるように、介護福祉士は、「医療行為研修カリキュラム」を50時間プラス実地研修を実施するなど、時間と費用をかけて受講し、登録をしなければならないことになりました。事業所は「医療行為認定事業所」としての登録が必要になり、医療行為をできるようにするかしないかの選択は、事業所、介護福祉士ともに、自分自身にあるというものの、ともに、登録をしなければ、利用者さんの受け入れもできなくなるという、何とも、生首を取られたような改正内容であるとも言えます。
しかも、6月の個人質問でも、発言させていただきましたが、中学校区に一事業所しか認可されないなど、一見、聞こえがいいのですが、早いもの勝ちで、実は、利用者様の囲い込みの何物でもなく、利用者様からしてみれば、そこの事業所とそりが合わなかったとしても、事業所を変わることもできず、介護保険制度の基礎基本である「措置から契約へ」というサービスの選択の自由が奪われるといっても過言ではないように思われます。逆に、事業所にとっては、「今、参入しないと、もう二度と、入れませんよ!」と言わんばかりの条件をつけており、飴とムチを使い分けているようにさえ思えてならず、国が一方的に、ケアする側と利用者様に不利な条件を押し付けていくという狙いの内容で、がっかりさせられました。
今まであった「介護療養型医療施設」は結局、廃止後の利用者様の受け皿がないため、平成30年まで延期されました。また、高齢者専用住宅(高専賃)、高齢者円滑入居住宅(高円賃)、高齢者優良住宅施設(高優賃)などは、高齢者住まい法の改正に伴い、新たに創設される「サービス付き高齢者住宅」へと変更されることになりました。これも、また、一階に事業所が入り、そのマンションに入居している方のサービスを担っていくというもので、介護を取り巻く環境が大きく変わることは間違いがないといえます。
介護職員のみなさん!めげないで、頑張ってくださいね! 
私も、現役で月に1日から3日ほど、現場で、入浴サービスやトイレ介助等をさせて頂いています。政治の世界にはない癒しが介護の現場にはあり、素の自分でいられる時間でもあり、毎回、利用者様より元気を頂いて帰ってきます。

2011年8月28日日曜日

今日は、ディサービスで入浴介助に、朗読に・・・!有意義な一日を過ごさせて頂きました!

 今日は、ディサービスで久しぶりにお手伝いをさせて頂きました。ほとんど寝たきりの状態の方から、ふらつきのある方など、様々な要介護度の方、10数名の方の入浴介助を、汗びっしょりになりながら、介助させて頂きました。「さっぱりしたわ。ありがとう!」「大変な仕事だね」と皆さんが口を揃えておっしゃられますが、逆に私の方が、皆さんが楽しそうに喜んで入浴して下さる姿が何よりうれしくて、体を洗ったり、楽しくお話をしながら介助をやらせて頂けることに、心から感謝しています。また、トイレ介助も、「うさみさんにお願いしたい」と、ご本人様から名指しでご依頼を頂け、うれしくなってしまいました。といいますのも、入浴を嫌がる方、トイレに行きたがらない方等、あの手この手をスタッフも使うのですが、私は、その方の今までの暮らしぶりや性格、習慣など、その方から伺ったお話の中からヒントを得たり、たくさんの情報を基に、一番その方が喜んで下さる話題であったり、その方の性格などを生かしてお声かけをさせて頂いています。いつも、そこがぴったりはまり、嫌がる方が、嘘のように喜んで私についてきて下さるのです。これは、決してだます訳でもなく、トイレやお風呂につれて行くことだけが目的でもないのです。その方の精神状態を、一番穏やかな状態にもっていくような働きかけや声掛けが、結果として、スムーズに目的も達成できるということなのです。認知症の方との接し方を誤ると、悪化させてしまうことがあるのですが、こういった介助側の行動に問題点があるのです。介助者は、どうしても、早く、用を済ませてしまいたいと思うあまり、目的ばかりが先走り、余計に関係を悪くさせてしまうという悪循環が生まれるのです。入浴を嫌がる方の衣類を無理やり脱がそうとすれば、ご本人様は、びっくりして罵声を上げたり、暴れたりして、余計に抵抗するのです。自分自身が、逆の立場だったらと考えてほしいのです。例えば、数分から数十分おきに、トイレに行かないと落ち着かない方がいらっしゃるとします。スタッフも顔に出していないつもりでも、ちゃんとご本人様は、察するものなのです。ところが、スタッフが心から嫌だと思わず、快く対応し続けると、時間がぐっと伸びるのです。不安な気持ちにさせないで、この人に言えば必ず、快く、いつでも連れて行ってくれると思えば、そのスタッフがいるだけで不安感がなくなるのです。手前味噌になってしまいましたが、久しぶりにディサービスに行ったにもかかわらず、その方は、ちゃんと名前まで憶えていて下さり、その一助を担うことができたことがわたくし自身、うれしかったのです。また、ボランティアでも、やっていた朗読は、席を立つ方や勝手な行動をする方が一人もいなく、むしろ、水をうったかのごとく、皆さんが集中して、喜んで聞き入って下さり、アンコールのリクエストを受け、おじいさんやおばあさん、娘や神様など、何役もの声色を使い分け、3冊読ませて頂きました。みなさんの目の輝きがうれしくて、更に、心を込めて読み上げました。どなたも昔話は、とても懐かしがられ、絵本の絵の視覚からも、刺激を受けて下さり、本当にやりがいを感じます。
 今日、ディサービスに行って、びっくりしたことがありました。それは、認知症が結構進んでいらっしゃる方までもが、私が議員になったことをケアマネさん達やご家族様から聞いたとおっしゃり、知っていて下さったのです。認知症の方は、新しい記憶を植え付けることが難しく、認知症でない方でも、ご高齢になると記憶の刷り込みはだんだん衰えてくるのですが、半年が経とうとしているにもかかわらず、選挙選当時の話をして下さったり、びっくりするくらい、しっかりと覚えていて下さり、新聞記事を探して下さっていたことを知りました。有難いやら、恥ずかしいやらで、穴があったら入りたい気持ちでした。皆さんが、そこまで関心を持って下さり、良い刺激になったことや、我が子のように喜んで下さる姿を拝見し、そのご期待に絶対に恥じないように、何としても、皆さんのお役に立てるよう、介護の現状を名古屋市に伝え、より良い福祉政策の構築に、全力で取り組んでいきたいと決意を新たに致しました。
 皆さんの笑顔を拝見し、今日一日だけで、たくさんの元気を頂いて帰ってきました。とても、有意義な一日をご一緒に過ごさせて頂き、本当に、ありがとうございました。次に、お逢いできる日を楽しみにしています。くれぐれもお元気でいて下さいね!

2011年8月24日水曜日

また、ひとつお役に立てました!

 「路上駐車が邪魔」「イベント時には、仮駐車場を作って欲しい」「小さな子どもが交通事故に遭っては大変だから、何とかして欲しい!」「おじいちゃん、おばあちゃんも、出掛けたいが車を停めるところがない」等、様々な立場から、同じ公園での車対策について、ご意見、ご要望を頂きました。
 やはり、路上駐車は、見通しが悪く、小さなお子さんが交通事故の犠牲者に遭ってはならないと思い、早速、動きました。
 この公園は、都市計画で公園拡張整備が進められている途中のため、整備されていない土地は、財政局が管理をしており、事情をお伝えしたところ、整備が始まるまでの期間ならば、貸して頂けることがわかりました。
 近くにある幼稚園には、有料になってしまうのですが、その旨をお伝えすると、ひとつ返事で、ご了承を頂け、大喜びで幼稚園の運動会などのイベント時に借りて下さることになりました。名古屋市としても、賃料として収入が入るため、職員も喜んでおりました。地元住民の方々には、今年の盆踊りには間に合いませんでしたが、これからの町内などのイベント時には、お貸しできることをお伝えしたところ、大変喜んで頂くことができました。皆様から何気なく頂いたお言葉を聞き漏らすことなく、即、疑問に思ったら、動いてみる。コツコツと小さな積み重ねで、住みやすい名古屋にしていきたいと思っています。
 きっと、名古屋市の眠っている土地が、他にもたくさんあると思います。ぜひ、こんな活用方法も提案していきたいと思います。
 地域の不満や疑問、どしどし、ご意見をお聞かせください!

2011年8月20日土曜日

震災から5か月!たくましい被災地の皆様に頭が下がる思いでいっぱいです!

8月10日朝いちで、名古屋を出発し、大船渡町山馬越の介護老人福祉施設「ひまわり」・グループホーム「ひまわり」・赤崎町の小規模多機能ホーム「後ノ入」・グループホーム「後ノ入」を訪問、視察後、短い時間ではありましたが、認知症の方のお話相手の傾聴ボランティアを夜までさせて頂きました。震災で一般の町民の皆さんが、家を流され避難してきたため、寝るところがないほどの方々が、この施設に寝泊まりされたとのことでした。認知症の方にとって、その賑わいが刺激になり、介護度が4だった方々が2に軽くなったというのです。私にも、堂々めぐりのお話をされていらっしゃるかと思うと、津波の話をされ、短期記憶は、本来記憶として残らないのですが、津波を実際には見られていないはずなのですが、しっかりと記憶されていたため、びっくりさせられました。夜まで、話が尽きず、泊まっていってと何度も誘って下さるので、私で、お役に立てるのならば、本当にお言葉に甘え、泊まらせて頂こうと思ったほどでした。また、これらの施設の理事長様は、介護保険法が施行される以前の1997年から「全国痴呆性高齢者ケア大会」を実施され、翌年にはオーストラリアと共同研究を開始、その後イタリアと共同研究をされるほど、最先端のケアを実施されていらっしゃる施設で、私も取得しました『認知症ケア専門士』の日本認知症ケア学会の東北地域部会長も拝命されておられ、震災がきっかけで、素晴らし方々にお会いすることができ、感動しました。
翌日の8月11日朝いちで、円城寺様に向かい、ご仏壇を搬入し、ご仏壇を流され、手を合わせるところもない檀家の皆様の切なるお気持ちを伺ってまいりました。名古屋市南区の稲葉仏壇さんのご厚意に、私からも感謝申し上げます。
大急ぎで、陸前高田市仮設市役所に向かい、同敷地内に開設された全国の若い市長で立ち上げたばかりの『陸前高田市復<幸>応援センター』にて、松阪市副市長にご挨拶をさせて頂きました。8月20日には、松阪市長とお会いすることになっていたため、ここで松阪市長のご活動に直接出会うとは、びっくりさせられ、そんなエピソードなどもお話させて頂き、更に親近感が湧きました。その日の当センター開設のブログに、私たちが訪問したことが記事になっており、私たちの名前も載せて下さっていて、びっくりしました。ぜひ、皆様にも、当センターのブログを見て頂き、若き市長さんたちのご活躍を応援して頂けたらと存じます。
次に、内閣府から就任したばかりの久保田副市長と意見交換の時間を頂戴することができ、仮設住宅の問題や助成金の1日も早い支払の要求、失業問題、ボランティアの派遣方法の改善策等、宿の女将さんや施設の職員さん、現地の職員さんや町民の方々などから伺った生の声をお伝えし、いろいろな質問にも、答えて下さいました。8月11日から始まる「陸前高田市議会、復興対策特別委員会」で、ぜひ、審議して頂きたい内容を副市長と直接、話し合うことができ、少しは陸前高田市民のお役に立てたかと存じます。数々の市内被災現場と港の液状化した現場に、再び足を運び、現地視察を行いました。2か月前に訪問した時と比べ、陸前高田市内は、随分瓦礫の分別や橋の修復も完成し、コンビニやスーパー、青空市などもでき始め、町にも活気が戻り始め、復興が進み、津波が何もかも奪い去った跡地に、たくましく雑草が生え始めていました。それに比べ、他の市町村は、ほとんど手つかずのままの状態と言っていいほど、復興へのスピードの差が歴然としていたことがとても、印象的で、これこそ、政治の力の差であることを思い知らされました。とにかく、「名古屋の皆さんの支援のおかげで・・・」と、地元の方々が口を揃えて、感謝の気持ちを伝えて下さいました。名古屋の皆さん、本当に、深いご理解を頂き、減税の原資からご支援を頂き、ありがとうございます。また、復興が遅れている皆様方に申し訳ない気持ちで一杯になりました。1日も早い復興を国に訴えていきたいと思います。今しばらく、お待ち頂きたく、お詫び申し上げます。
11時、介護老人保健施設を訪問。ここは、高台にあり、この敷地の真下を津波が通過していったとのことで、多くの市民の命が助けられたそうです。しかしながら、津波は逃れたものの、建物の天井やガラスなどが破壊され、施設内の高齢者も、雪の降る極寒の中、外に避難しなければならなず、一人の犠牲者がでなかったことが奇跡なほどの状況だったことなど、貴重なお話を伺うことができました。日頃より、県立病院と非常事態に備え訓練を行っていたことが功を奏したとのことでした。ぜひ、名古屋でも、それらの教訓が生かされ、その体制作りのために、避難の指揮をとられた入澤看護部長様に、ご講演を依頼したいと考えています。
お昼の食事を摂る暇もなく、午後からは、長寿福祉課の佐藤様から、在宅介護の現状と被災時の状況、今後の課題について、お話を伺いながら、いろいろな質問をさせて頂きました。多くの居宅支援事業所が津波で流され、ケアマネ・ヘルパー、利用者様、そのご家族もながされ、市役所の職員も3分の1の方々がお亡くなりになられ、書類も全くない中、大活躍されたのが、残されたケアマネさん達であったことを知りました。ケアマネは、利用者様本人の病気や服用している薬や緊急性の高さや支援の必要度等やご家族様の情報も把握していた為あちこちの避難場所を捜し歩かれたそうです。なにより、前述の松原苑でのお話と同様、地域のコミュニケーション力(りょく)が、何より大切であることを、改めて学ばさせて頂き、名古屋市の重要課題と認識致しました。
翌12日は、東京で開かれたフォーラム『介護保険制度改正についての動向をさぐる』に出席し、最新の情報を手に入れることができました。介護の現場と国の政策の意図が擦れ違っていることがもどかしく感じられました。介護保険制度設立時より、携わってこられている介護保険制度の第一人者である白澤政和先生と、セミナー終了後に1対1で、お話をさせて頂け、陸前高田から直接会場に来たことをお伝えすると、先生ご自身も10日に現地入りをされており、佐藤さんに現地を案内してもらったことなどがわかり、意気投合し、話が盛り上がり、興奮冷めやらぬといった心境でした。
ご仏壇を被災地にお届けすることがきっかけで、再び、現地入りをさせて頂け、支援に携わっている多くの方々に、貴重なお話を伺うことができ、逆に、私の方が、たくさんの地元の皆様の温かさに触れ、勇気と元気と希望を頂いた気が致します。9軒の家や旅館や借家などを津波で流され、まだ、ご自宅のご仏壇も買いに行けてないことも忘れていたとのこと、復興支援の社員さんたちやボランティアさんに、お風呂や食事、宿を、不眠不休で提供して下さっている大船渡町の「とりい荘」の女将さん。グループホームに通っている78歳のおばあちゃんのご主人様が大工さんで、現在、地元の杉の木を使って手作りで、ご自宅を建築中とのこと。「泣いてばかりいられないよ!」と笑顔で答えて下さいました。新しい家ができることが、今の楽しみとのことで、仮設住宅で暮らしておられます。本当にたくさんの素敵な笑顔に出逢うことができました。2か月前とは、全く違う大きなおおきな成果を得て帰って来れた気が致します。ぜひ、名古屋のための生かし、現地の方にご恩返しをしてまいりたいと存じます。

2011年8月10日水曜日

陸前高田市と大船渡市の介護の現状と災害時の教訓を学びに行ってきます!

 お仏壇をお盆までに、被災地に届けることが気っかけで、再び、被災地の東日本にご縁を頂き、現地入りをしてきます。今度は、特に在宅介護・施設介護を中心に、港の液状化も、視察してきたいと思います。
 私が、思った以上に、現地の介護の現状は悲惨で、在宅介護が特にひどい状態のようです。在宅介護の事業所も、ヘルパーさんも利用者様も車も、なにもかもが流されてしまい、視察先の問い合わせすら、できない状況でした。
 しっかりと、生の声を伺ってきたいと思います。現地では、介護福祉士・社会福祉士・認知症ケア専門士等の有資格者のため、とても、喜んで待っていて下さいます。頑張ってきます!
 

2011年8月8日月曜日

港区公職者会・区政協力委員長との防災に関する意見交換会に出席!

 港区公職者会と区政協力委員長との防災に関する意見交換会は、今回初めて開催されたとのことで、出席をさせて頂きました。活発な意見交換がなされ、あっという間に一時間半余の時間が過ぎ、意見が尽きませんでした。何と言っても、私自身の『うさみいく愛新聞・・・今こそ地域力が試される時!』にも書きましたが、企業や民間の高層マンション等にも、お願いをして、いざという時には、津波避難ビルとして上層階への避難の受け入れをして頂ける体制づくりの確立に向け、この暑い中、区政委員長の皆様方が一軒一軒お願いに上がって下さっていたことに、びっくりしました。心より感謝申し上げます。
 18学区の委員長がご参加下さり、様々な意見が活発に、熱心に語られました。学区により、津波避難ビルに恵まれている(?)といいますか、高い建物が存在するとしても、その要件に満たないところが多く、無いに等しいところが多いのが現状で、口を揃えて、津波避難ビルの新規建設を望まれていました。しかしながら、その用地の確保も難しく、収容人数や逃げるまでの時間や高齢者の足を考慮すると町内単位での建設を望まれるご要望が多く、本市にとって、大きなプロジェクトであることは、間違いないと思いました。企業においては、セキュリティが厳しく、社員ですら上層階には上がれない現実に直面されたとのことで、訪問前と帰り道では、相当のギャップを感じたとの意見もありました。民間マンションは、やはり、現在、オートロック式が多く、鍵を事前に渡しておくことに抵抗があり、ほとんどのところが、住民の賛同が頂けず、弊害になっているとのことで、多くの課題をクリアしなければならないと痛感いたしました。学区ごとにある小・中学校が、津波避難ビルに指定されていないものが多く、4階建て以上の校舎も珍しく、屋上もただの平面であったり、上る階段も急だったり、フェンスもない状態であることや、開校時には、そこの生徒が全員避難するだけでも45分も時間がかかったとの報告もあり、スペースも児童だけでいっぱいになってしまい、とても他の人まで受け入れできる状態ではない現実が、明るみになり、これらのことは、ほぼ学区全域での共通の課題であることがわかりました。
 私は、平成15年に立候補させて頂いたときに掲げておりました防災リーダーと防災ボランティアの養成を強く訴えておりました。その経緯と今回の大震災を踏まえ、当選してすぐに、その進捗状況と詳細の把握に取り組みましたが、未だになかなか進んでいない現実にも直面しておりました。そんな中、私の住んでいる西築地学区は、港湾会社等も多くあるため、昼間人口と夜間人口が異なり、避難の仕方も変わってくるため、町内単位で、防災リーダーをピックアップし、訓練を重ねることで、住民の防災への意識を高めていきたいとのと、更に一歩踏み込んだ発言もあり、ぜひ、港区全域で実現していきたいと思いました。
 津波避難ビルに意見が集中する中、「この地域の過去の災害を紐解き、一日も早い、正確な情報が欲しい」「ハード面で、新川の堤防をもっと高くしてほしい」「いやいや、全市民の生命・財産を守るためには、高潮防波堤だ!」など、高潮防波堤の機能強化の要望も上がり、一日も早く、国へも強く要望していくことを固くお約束をさせて頂きました。この会も引き続き、重ねていくことと致しました。
 

2011年8月5日金曜日

ご仏壇をお盆までに届けたい!湯川議員と私で運転をして、陸前高田市のお寺に届けてきます!

 取り急ぎ、お盆までに現地の被災者の皆様方に届けたい!という思いから、湯川議員と私が交代で運転をすることになり、早速、来週半ばに届けてきます!今、道の確認はできましたが、新潟経由か東京経由かを迷っています。しかも、カーナビが付いていない、普通のライトバンですので、1000kmの長距離運転がとても心配です。加えて、宿泊先が見つからず、困っています。

ご仏壇を被災地陸前高田市に支援物資として届けることができるように、早速、動き、ご賛同を頂けました!

 ご仏壇を被災地陸前高田市に届けるのに送料がかかるため困ったという陳情を受けました。私は、6月の現地視察時、「身内や身近な知人を亡くされ、家もお墓も流され、悲しみを通り越して、絶望的になられているのでは・・・」と、表現ができない感情に打ちひしがれ、涙が溢れ、止めどもなく流れ、頭が痛くなるほど、泣いてしまいました。自分の無力ささえ感じました。そんな中、このお話を頂き「ぜひ、私もお手伝いさせてください。届ける時も同行させて下さい。」と逆にお願いをさせて頂きました。「絶対にどんなことがあっても届けなければ・・」と固い決意で、その方々と別れたその足で愛知県トラック協会さんにお願いにあがりました。一年生議員、門前払いを覚悟でアポなしで訪問させて頂きました。やはり、会社にはご不在でアポなしには会えない旨を告げられ、帰されました。でも、一刻も早く、糸口を見つけなければと、その足で、ご自宅を尋ねたところ、父の時代からの繋がりもあってかと存じますが、快くご自宅に通して頂き、その方も「そうか、水や食料を愛知県トラック協会も運んだけれど、次に被災者が本当に欲しいものだなぁ」と鶴のひと声で、ご賛同を頂くことができました。
 やる前に宣言することは本来は嫌で、実際に行ってから報告すべきだと思いますが、ここで一言お伝えしておきたいことがあります。常々団に対して申し出ていますが、思いが伝わらず、「またまた、うさみさんはいい恰好して!」と相手にして頂けていないため、逆に団に対して、既成事実を作りたい意味合いを込めて発表させて頂きます。私は、市議会報酬の差額分と名港議会報酬を団に預けていますが、その全額を被災地に寄付させて頂く所存でおります。少しでも被災者の方々のお役に、復興のお役に立てればと存じます。これも、本来は、名古屋市の血税でありますが、名古屋市会議員から名古屋市には寄付できない決まりがあり、お返しできませんので、これは、私からではなく、名古屋市民の皆様からの寄付です。ぜひ、ご賛同を頂けたらと存じます。私は、DV とか虐待という言葉もない時代に、夫からのDV・こどもへの虐待を受け、家も家財も売り飛ばされ、食パンの耳を食べても三人の子供たちを育てていこうと決意し、命からがら逃げて参りました。今、こうして命があり、子どもたちもなんとか育ったのも、本当にたくさんの方に助けて頂き、励まして頂けたおかげと、心より感謝しております。そのご恩返しがしたく、議員に立候補させて頂きました。こんな私が、と自分自身で思いますが、こんな私にもできることをと考えております。私よりも、もっともっと苦労をされていらっしゃる方が大勢いっらっしゃると思いますので、奥がましいとは存じますが、苦労した分、人の痛みがわかる気が致します。何事も感謝の気持ちを忘れず、今、自分が生かされている意味を忘れることなく、皆様のお役に、ひとつでも立てるよう頑張っていきたいと存じます。

名港管理組合の港湾視察、徹夜で勉強した甲斐がありました!

事前質問は、先日ブログでも報告させて頂きましたが、現地で頂いた資料やプロジェクターでの説明や現地港湾を拝見し、更に聞きたいことが湧き出るかのごとく、どんどん出てきました。手前味噌になりますが、受け身の説明だけに留まることなく、積極的に通訳の方を通じて質問できたことを自分自身本当にうれしく思いました。これも、何日もかけて、しっかり勉強をして行った甲斐があったと、自負しております。台北で説明をして下さった方は、名古屋港に一度も来られたことがないとので「名古屋港は、水族館や公園があり、とてもきれいな港と聞いています。台北も、名古屋港のようなきれいで、市民の憩いの場所となる港を目指しています。・・・」とのご挨拶を頂き、私は、世界からはそんな風に感じてもらえているのかと、思わずうれしくなってしました。お世辞だとしても世界からは良くも悪くも常に評価されていることに気付かされ、旧イタリア村の跡地問題や水族館の目玉であるシャチの件等、本当に早く解決しなければと心に誓いました。私は「身に余るお褒めを頂いた名古屋港水族館から歩いて5分ほどのところに生まれ育ちました市会議員のうさみいく愛と申します。」と最初にご挨拶をさせて頂いたところ、満面の笑顔で対応下さいました。現地で頂いた港湾計画資料から、電力専業区について、質問をさせて頂きました。「台湾は日本に次ぐ地震国と聞いています。東日本大震災の福島原発事故を踏まえ、台湾では、今年5月に、順次、原子炉の廃炉と今後延長をしない方針と自然エネルギーへの転換を発表されましたが、この計画を立てられたときは、この場所には何を計画されていたのか、発表された後変更されたのならば、その点について教えてください」と質問をしました。その場所は私の予想に反し火力発電を計画されていたとのことでしたが、地元住民から二酸化炭素などの環境への配慮から猛烈な反対があり、計画が中断していたところ、原発事故を目の当りにし、台湾国民の考えが変わり、火力発電に賛同が頂けたとのことでした。特に印象に残ったことは「素晴らしい技術を持つ日本で原発事故が起きてしまったことに、本当に台湾国民は衝撃を受けています。台湾は火力発電にシフトしたけれど、遠い将来になるかもしれませんが、日本が必ずや福島原発事故も解決し、更に事故を起こさない性能の良いものを開発してくれた時は、原子力発電を利用したい。」とおっしゃられたことでした。福島原発事故は、世界中に波紋を起こし、大きな国策さえも変えてしまうほどの、その影響力に改めて、原発の恐ろしさを感じるとともに、世界中が注目している福島原発の一日も早い収束を心から願わずにはいられない心境でした。台北港と高雄港においても、質問をした議員は2~3名と限られており、中でも、私の質問には、なぜか、現地の港湾局長が表情を強張らせ、通訳に長々と説明をし、通訳も言葉を選びながら答えて下さり、「あなた、よくご存知ですね。どうしてそんなに台湾の港湾の事情を知っているのですか?」と局長から逆質問をされたハプニングがあった程でした。結構、原発問題やアピールポイントにしていた点を追求したことや、名古屋港や中国との比較をする質問が、当局にとって痛いところを衝かれたようでした。「中国と北米とのダイレクト便が増加してきたことにより、高雄港でのトランシップ貨物の減少が危惧されますが、その点についてなにか対策をされていますか?」という私の質問には、本当に言葉を詰まれせてしまい、私の方がびっくりしてしまいました。回答は直球で「危惧しています。今、全力を尽くして対策を練っている最中で、一番の課題です。」等のとても困った表情で回答を頂いたため、私は「高雄は、アジアと北米を結ぶ太平洋航路とアジアとヨーロッパを結ぶ欧州航路という名古屋港よりも恵まれた素晴らしい立地条件にありますので、ぜひこれからもがんばってください」と笑顔で返すと、とても喜んで下さり安堵されたご様子でした。そのほかには、「1999年の台湾地震では、港湾はどのような被害を受けたか」「液状化してしまったふ頭は、復旧をして現在使用しているのか、それとも新しく作り直したのか」「復旧までの期間はどれくらい要したのか」「耐震の岸壁強度はどれくらいを基準にしたのか」「災害時の支援物資の受け渡しができる岸壁は指定しているか」「最高の効率と最高のサービスをアピールされておられ、通関の輸出入の手続きの短縮で効率化を図れていると聞きましたが、それは書類を簡素化したのか、それとも人員を増やしているのか、他にどのような工夫をされているのか」「通関手続きの短縮を図られているとのことですが通関には、実際どれくらいの時間がかかるのか」「台湾港は、現在、国の公務局が管轄しているが、『会社化』をしていくとの説明がありましたが、それは具体的にどのようなにしていくのことですか」等々、書ききれないほどの質問をさせて頂きました。金(きん)局長は、名古屋港にキャプテンとして何度も入港されていた経緯があり、とても親近感をお互いに持つことができ、会議室での質問に始まり、屋上での質問、そして海上を見ながらの船内での質問と会話が途切れることなく続き、数々の質問の中から即答できない質問もあるとのことで、後日、名港管理組合宛に回答を下さることになり、通訳さんが「宿題ができちゃいました。頑張ります。」とチャーミングに苦笑いをされておられたのが、印象的でした。帰りの飛行機では、疲れも重なり、吐き気を催すほどでしたが、それに耐えながら、血税で視察をさせて頂けたことに感謝しつつ、最後の最後まで、視察をさせて頂きました。吐き気と闘いながら、窓の外を必死でのぞき込み、上空からも数々の台湾の港湾を間近かに見ることができ、着陸時は、名古屋港(四日市や飛島・なべたふ頭)をひとつひとつ確認することができ、GPSハロー計であろうものも目視することができました。現地視察は、本当にハードスケジュールで、トイレに行くにも、荷物を受け取るにも時間の猶予がないにも関わらず、猛暑の中、時間通りにバスが到着していなかったり、早めに到着しても、現地は昼休み時間とのことで、猛暑の中を待たされたり、お国柄の違いも痛感しました。バスガイドさんが、「中国の人、ご飯の約束しても時間より遅れて来る。偉い人ほど遅れて来る。なぜか?卑しいと思われるから。日本人、時間通りに来る。恥ずかしい。」「時間の約束守らないと日本人すぐ怒る。中国の人遅れても絶対に怒らない。謝らない。空港で日本人と中国人の見分け方、すぐわかる。なぜ?ペコペコ頭下げる。電話に向かって、テレビ電話でもあるまいのに、ペコペコお辞儀している。すぐわかる。」と言われ、苦笑いをする一面もありましたが、新幹線も日本製の台湾仕様とのこと、大きな荷物を置くスペースがあり、絶大なる人気の日本車の性能の良さ等、これもすべて、まじめで誠実な日本人の国民性が生み出す『信用』という財産なのではと改めて、日本人である誇りを感じるとともに、世界の経済も日本が担っていることに自信を持ち、日本の良さをもっともっとアピールしていきたいと思います。市民の皆様、本当にありがとうございました。必ずや名古屋港の貿易高の向上・名古屋の発展のために生かしていきたいと存じます。

2011年7月27日水曜日

財政福祉委員会現地視察から帰ってきてすぐに市役所で仕事をしています!

 7月25日名古屋を出発して、川崎市の財政状況調査のために川崎市役所にて行政改革プランについて説明を受け、私は、地下鉄工事の予算について質問をさせて頂きました。その後、バスで杉並区に移動をし、減税自治体構想のその後について、①「杉並区減税基金条例」の可決から減税自治体構想の凍結までの経緯②杉並区議会での審議における主な論点③「減税自治体構想」についての今後の杉並区の方針④「減税自治体構想」を凍結したことに対する市民等からの意見について調査をしてきました。議会が受け持つ責任の重さを痛感させられました。7月26日、臨海部広域斎場組合による臨海斎場に関する調査を行いました。立地および経緯や住民説明会の実施、運営形態、総事業費、22年度の実績などの説明を受け、実際に火葬している火葬炉を間近に見学させて頂きました。高齢化が進んでいるにもかかわらず、黒字経営を維持している滝川市立病院を視察しました。事前質問の資料を元に、丁寧な説明を受けることができ、名古屋市の病院局が抱える問題を切り口に、他の議員からも活発な質問が飛び交い、とても充実した調査となりました。札幌市役所にて、介護予防について調査を行いました。名古屋よりも介護度が低い方が多く、土地柄も影響しているのではとの回答でした。私は雪で閉ざされている気候が介護予防の障害になっているのではないかと思い、その解決方法や工夫されていることや、介護認定の委託を始める名古屋の状況を踏まえ、それらの観点からも質問をさせて頂きました。札幌市は、名古屋の人口と比べ、30万人少ないのですが、既に介護認定の全部を外部委託されていると伺い、少し驚きました。帰ってきてからも引き続き、質問のやり取りをさせていただこうと思っています。一箇所の調査が、ついつい予定よりもの伸びてしまい、更にバスが渋滞にはまってしまったり、走って電車に滑り込み乗車をしなければならなかったりと、かなりハードスケジュールの3日間でした。秋からは、減税にむけて誠心誠意、頑張りたいと存じます。
 セントレア空港からその足で、市役所に向かい、3件の陳情の問い合わせを行い、資料の整理等を行っていますが、まだまだ帰れそうにありません。

2011年7月22日金曜日

視察先への事前質問が完成しました!夜中の3時過ぎですが、市役所にいます。

 最近、市役所の主のようになってしまい、必ず団の中では、一番最後まで残っており、つい根を詰めると、気がつけば朝になってしまっています(泣)(笑)現在3時15分です。
 今、やっと、名港管理組合の港湾視察先の事前質問が完成し、ファックスを送りました。内容は以下のとおりです。
<高雄港について>
 1.1999年の台湾の地震では、断層が発生し、学校の校庭や商店街に2~4メートルの段差が生じました。福島原発事故を踏まえ、今年5月に台湾は、順次原子炉廃止と延期をしない方針を発表しました。日本に次ぐ地震国である台湾において、2007年から2010年の完成を目途に、水深16メートル、4バースのコンテナターミナル建設を、BOT方式で、民間事業者に整備を進めさせましたが、その整備にあたり、耐震・防災面においては、どのような指導・監督を行ってきたかを教えてください。
 2.いち早く、東日本大震災を踏まえ、自然エネルギーへの方針転換を発表された台湾において、港湾地区における耐震基準の見直しをはじめとする地震対策や災害発生時における緊急支援物資の入出港用耐震バースの整備・取り組み等についての働きかけや新たな方針があれば教えてください。
 3.アジアと北アメリカを結ぶ太平洋航路およびアジアとヨーロッパをつなぐ欧州航路の双方向の航路という充実した航路ネットワークを活用した高雄港は、廉価で速度アップを図ったサービス展開でトランシップ港として、大きく貢献、発展されていますが、通関など輸出入の手続き時間の短縮など、港湾業務の効率化および港湾設備等、どのような工夫をされているかについて教えてください。
 4.上記の地理的優位性を生かして、更に、台北港や基隆港などがそれぞれの港としての役割を住み分けしていると聞きますが、具体的に教えてください。国家戦略としての地域港湾のあり方についても教えてください。
 5.対岸中国の港湾で、北米等へのダイレクト便が増加してきたことにより、高雄港でのトランシップ貨物の減少が危惧されますが、今後の開発に向けたインフラ整備等の計画や取り組みについて教えてください。
 
<台北港について>
 1.基隆港の狭隘化にともない、発展用地の確保が難しいことから、今後は台北港に比重が移され、新たな台湾の拠点港湾として最大の港湾整備計画が進められていると聞きますが、その戦略と具体的な計画について教えてください。

その他、段差が生じた1999年の台湾地震時の港湾の被害の有無や名古屋港への要望等をお尋ねしたいと考えております。

8月に実施される名港管理組合議会における港湾視察先について、私自身、大変悩みました。6月7日・8日の日程で、被災地の東日本の港湾は、自費を含め、視察を終えていた経緯を踏まえ、決意を致しました。高雄港は、トランスシップ貨物のコンテナ輸送で世界6位を占めるほど、飛躍的に発展した港であり、日本に次ぐ地震国であることを踏まえ、東日本の復興はもちろんのこと、名古屋港の発展と今後の港湾地区における防災対策について学んで参りたいと存じます。市民の皆様の血税を無駄にしないために、更なる事前学習をし、現地視察に備えたいと存じます。何卒、ご理解の程、よろしくお願い申し上げます。

2011年7月18日月曜日

みなと祭りに両日参加!昨日・今日と引き続き、東北の皆さんの供養と復興の願いも込めて練り踊り歩きます!

7月14日(木)の女性会演芸大会を皮切りに、みなと祭り行事がスタートしました。16日(土)の築地神社のみなと祭り・夏の祈願祭では、名古屋港湾関係の企業の方と学区役員さんがたくさん参列され、みなと祭りの無事と今後の名古屋港の発展を祈り、祭礼が厳かに執り行われました。昨日は、町内の組長として、あさの8時からみなと祭りの山車(屋形)の飾りつけなどのお手伝いをさせて頂き、築地口神社の祭礼、そして、昼・夜ともにスケジュールいっぱいで、学区内を練り踊り歩きました。茹だるほどの暑い一日でしたが、楽しい充実した一日となりました。今までは、介護の仕事で、みなと祭りどころの騒ぎではなく、むしろ、みなと祭りで大渋滞で身動きができず、どうやって、利用者様宅に訪問させて頂くかといった待ったなしの状態でした。本日の河村たかし代表との緊急執行部会は、欠席をさせて頂き、地元みなと祭りの公務を二件掛け持ちながら、各町内の山車とともに、学区一丸となり、海の記念日の名古屋港へのお客様を、全力投球でお出迎えさせて頂く所存です。
東日本のお祭りでは、予想外の来客が殺到してしまい、一部中止となったとのこと。みなと祭は、海の戦没者への供養と名古屋の復興の願いが込められており、今年は、特に東北の皆さんのご冥福と復興を願い、気持ちを込めて踊り明したいと存じます。