8月10日朝いちで、名古屋を出発し、大船渡町山馬越の介護老人福祉施設「ひまわり」・グループホーム「ひまわり」・赤崎町の小規模多機能ホーム「後ノ入」・グループホーム「後ノ入」を訪問、視察後、短い時間ではありましたが、認知症の方のお話相手の傾聴ボランティアを夜までさせて頂きました。震災で一般の町民の皆さんが、家を流され避難してきたため、寝るところがないほどの方々が、この施設に寝泊まりされたとのことでした。認知症の方にとって、その賑わいが刺激になり、介護度が4だった方々が2に軽くなったというのです。私にも、堂々めぐりのお話をされていらっしゃるかと思うと、津波の話をされ、短期記憶は、本来記憶として残らないのですが、津波を実際には見られていないはずなのですが、しっかりと記憶されていたため、びっくりさせられました。夜まで、話が尽きず、泊まっていってと何度も誘って下さるので、私で、お役に立てるのならば、本当にお言葉に甘え、泊まらせて頂こうと思ったほどでした。また、これらの施設の理事長様は、介護保険法が施行される以前の1997年から「全国痴呆性高齢者ケア大会」を実施され、翌年にはオーストラリアと共同研究を開始、その後イタリアと共同研究をされるほど、最先端のケアを実施されていらっしゃる施設で、私も取得しました『認知症ケア専門士』の日本認知症ケア学会の東北地域部会長も拝命されておられ、震災がきっかけで、素晴らし方々にお会いすることができ、感動しました。
翌日の8月11日朝いちで、円城寺様に向かい、ご仏壇を搬入し、ご仏壇を流され、手を合わせるところもない檀家の皆様の切なるお気持ちを伺ってまいりました。名古屋市南区の稲葉仏壇さんのご厚意に、私からも感謝申し上げます。
大急ぎで、陸前高田市仮設市役所に向かい、同敷地内に開設された全国の若い市長で立ち上げたばかりの『陸前高田市復<幸>応援センター』にて、松阪市副市長にご挨拶をさせて頂きました。8月20日には、松阪市長とお会いすることになっていたため、ここで松阪市長のご活動に直接出会うとは、びっくりさせられ、そんなエピソードなどもお話させて頂き、更に親近感が湧きました。その日の当センター開設のブログに、私たちが訪問したことが記事になっており、私たちの名前も載せて下さっていて、びっくりしました。ぜひ、皆様にも、当センターのブログを見て頂き、若き市長さんたちのご活躍を応援して頂けたらと存じます。
次に、内閣府から就任したばかりの久保田副市長と意見交換の時間を頂戴することができ、仮設住宅の問題や助成金の1日も早い支払の要求、失業問題、ボランティアの派遣方法の改善策等、宿の女将さんや施設の職員さん、現地の職員さんや町民の方々などから伺った生の声をお伝えし、いろいろな質問にも、答えて下さいました。8月11日から始まる「陸前高田市議会、復興対策特別委員会」で、ぜひ、審議して頂きたい内容を副市長と直接、話し合うことができ、少しは陸前高田市民のお役に立てたかと存じます。数々の市内被災現場と港の液状化した現場に、再び足を運び、現地視察を行いました。2か月前に訪問した時と比べ、陸前高田市内は、随分瓦礫の分別や橋の修復も完成し、コンビニやスーパー、青空市などもでき始め、町にも活気が戻り始め、復興が進み、津波が何もかも奪い去った跡地に、たくましく雑草が生え始めていました。それに比べ、他の市町村は、ほとんど手つかずのままの状態と言っていいほど、復興へのスピードの差が歴然としていたことがとても、印象的で、これこそ、政治の力の差であることを思い知らされました。とにかく、「名古屋の皆さんの支援のおかげで・・・」と、地元の方々が口を揃えて、感謝の気持ちを伝えて下さいました。名古屋の皆さん、本当に、深いご理解を頂き、減税の原資からご支援を頂き、ありがとうございます。また、復興が遅れている皆様方に申し訳ない気持ちで一杯になりました。1日も早い復興を国に訴えていきたいと思います。今しばらく、お待ち頂きたく、お詫び申し上げます。
11時、介護老人保健施設を訪問。ここは、高台にあり、この敷地の真下を津波が通過していったとのことで、多くの市民の命が助けられたそうです。しかしながら、津波は逃れたものの、建物の天井やガラスなどが破壊され、施設内の高齢者も、雪の降る極寒の中、外に避難しなければならなず、一人の犠牲者がでなかったことが奇跡なほどの状況だったことなど、貴重なお話を伺うことができました。日頃より、県立病院と非常事態に備え訓練を行っていたことが功を奏したとのことでした。ぜひ、名古屋でも、それらの教訓が生かされ、その体制作りのために、避難の指揮をとられた入澤看護部長様に、ご講演を依頼したいと考えています。
お昼の食事を摂る暇もなく、午後からは、長寿福祉課の佐藤様から、在宅介護の現状と被災時の状況、今後の課題について、お話を伺いながら、いろいろな質問をさせて頂きました。多くの居宅支援事業所が津波で流され、ケアマネ・ヘルパー、利用者様、そのご家族もながされ、市役所の職員も3分の1の方々がお亡くなりになられ、書類も全くない中、大活躍されたのが、残されたケアマネさん達であったことを知りました。ケアマネは、利用者様本人の病気や服用している薬や緊急性の高さや支援の必要度等やご家族様の情報も把握していた為あちこちの避難場所を捜し歩かれたそうです。なにより、前述の松原苑でのお話と同様、地域のコミュニケーション力(りょく)が、何より大切であることを、改めて学ばさせて頂き、名古屋市の重要課題と認識致しました。
翌12日は、東京で開かれたフォーラム『介護保険制度改正についての動向をさぐる』に出席し、最新の情報を手に入れることができました。介護の現場と国の政策の意図が擦れ違っていることがもどかしく感じられました。介護保険制度設立時より、携わってこられている介護保険制度の第一人者である白澤政和先生と、セミナー終了後に1対1で、お話をさせて頂け、陸前高田から直接会場に来たことをお伝えすると、先生ご自身も10日に現地入りをされており、佐藤さんに現地を案内してもらったことなどがわかり、意気投合し、話が盛り上がり、興奮冷めやらぬといった心境でした。
ご仏壇を被災地にお届けすることがきっかけで、再び、現地入りをさせて頂け、支援に携わっている多くの方々に、貴重なお話を伺うことができ、逆に、私の方が、たくさんの地元の皆様の温かさに触れ、勇気と元気と希望を頂いた気が致します。9軒の家や旅館や借家などを津波で流され、まだ、ご自宅のご仏壇も買いに行けてないことも忘れていたとのこと、復興支援の社員さんたちやボランティアさんに、お風呂や食事、宿を、不眠不休で提供して下さっている大船渡町の「とりい荘」の女将さん。グループホームに通っている78歳のおばあちゃんのご主人様が大工さんで、現在、地元の杉の木を使って手作りで、ご自宅を建築中とのこと。「泣いてばかりいられないよ!」と笑顔で答えて下さいました。新しい家ができることが、今の楽しみとのことで、仮設住宅で暮らしておられます。本当にたくさんの素敵な笑顔に出逢うことができました。2か月前とは、全く違う大きなおおきな成果を得て帰って来れた気が致します。ぜひ、名古屋のための生かし、現地の方にご恩返しをしてまいりたいと存じます。