2011年8月5日金曜日
名港管理組合の港湾視察、徹夜で勉強した甲斐がありました!
事前質問は、先日ブログでも報告させて頂きましたが、現地で頂いた資料やプロジェクターでの説明や現地港湾を拝見し、更に聞きたいことが湧き出るかのごとく、どんどん出てきました。手前味噌になりますが、受け身の説明だけに留まることなく、積極的に通訳の方を通じて質問できたことを自分自身本当にうれしく思いました。これも、何日もかけて、しっかり勉強をして行った甲斐があったと、自負しております。台北で説明をして下さった方は、名古屋港に一度も来られたことがないとので「名古屋港は、水族館や公園があり、とてもきれいな港と聞いています。台北も、名古屋港のようなきれいで、市民の憩いの場所となる港を目指しています。・・・」とのご挨拶を頂き、私は、世界からはそんな風に感じてもらえているのかと、思わずうれしくなってしました。お世辞だとしても世界からは良くも悪くも常に評価されていることに気付かされ、旧イタリア村の跡地問題や水族館の目玉であるシャチの件等、本当に早く解決しなければと心に誓いました。私は「身に余るお褒めを頂いた名古屋港水族館から歩いて5分ほどのところに生まれ育ちました市会議員のうさみいく愛と申します。」と最初にご挨拶をさせて頂いたところ、満面の笑顔で対応下さいました。現地で頂いた港湾計画資料から、電力専業区について、質問をさせて頂きました。「台湾は日本に次ぐ地震国と聞いています。東日本大震災の福島原発事故を踏まえ、台湾では、今年5月に、順次、原子炉の廃炉と今後延長をしない方針と自然エネルギーへの転換を発表されましたが、この計画を立てられたときは、この場所には何を計画されていたのか、発表された後変更されたのならば、その点について教えてください」と質問をしました。その場所は私の予想に反し火力発電を計画されていたとのことでしたが、地元住民から二酸化炭素などの環境への配慮から猛烈な反対があり、計画が中断していたところ、原発事故を目の当りにし、台湾国民の考えが変わり、火力発電に賛同が頂けたとのことでした。特に印象に残ったことは「素晴らしい技術を持つ日本で原発事故が起きてしまったことに、本当に台湾国民は衝撃を受けています。台湾は火力発電にシフトしたけれど、遠い将来になるかもしれませんが、日本が必ずや福島原発事故も解決し、更に事故を起こさない性能の良いものを開発してくれた時は、原子力発電を利用したい。」とおっしゃられたことでした。福島原発事故は、世界中に波紋を起こし、大きな国策さえも変えてしまうほどの、その影響力に改めて、原発の恐ろしさを感じるとともに、世界中が注目している福島原発の一日も早い収束を心から願わずにはいられない心境でした。台北港と高雄港においても、質問をした議員は2~3名と限られており、中でも、私の質問には、なぜか、現地の港湾局長が表情を強張らせ、通訳に長々と説明をし、通訳も言葉を選びながら答えて下さり、「あなた、よくご存知ですね。どうしてそんなに台湾の港湾の事情を知っているのですか?」と局長から逆質問をされたハプニングがあった程でした。結構、原発問題やアピールポイントにしていた点を追求したことや、名古屋港や中国との比較をする質問が、当局にとって痛いところを衝かれたようでした。「中国と北米とのダイレクト便が増加してきたことにより、高雄港でのトランシップ貨物の減少が危惧されますが、その点についてなにか対策をされていますか?」という私の質問には、本当に言葉を詰まれせてしまい、私の方がびっくりしてしまいました。回答は直球で「危惧しています。今、全力を尽くして対策を練っている最中で、一番の課題です。」等のとても困った表情で回答を頂いたため、私は「高雄は、アジアと北米を結ぶ太平洋航路とアジアとヨーロッパを結ぶ欧州航路という名古屋港よりも恵まれた素晴らしい立地条件にありますので、ぜひこれからもがんばってください」と笑顔で返すと、とても喜んで下さり安堵されたご様子でした。そのほかには、「1999年の台湾地震では、港湾はどのような被害を受けたか」「液状化してしまったふ頭は、復旧をして現在使用しているのか、それとも新しく作り直したのか」「復旧までの期間はどれくらい要したのか」「耐震の岸壁強度はどれくらいを基準にしたのか」「災害時の支援物資の受け渡しができる岸壁は指定しているか」「最高の効率と最高のサービスをアピールされておられ、通関の輸出入の手続きの短縮で効率化を図れていると聞きましたが、それは書類を簡素化したのか、それとも人員を増やしているのか、他にどのような工夫をされているのか」「通関手続きの短縮を図られているとのことですが通関には、実際どれくらいの時間がかかるのか」「台湾港は、現在、国の公務局が管轄しているが、『会社化』をしていくとの説明がありましたが、それは具体的にどのようなにしていくのことですか」等々、書ききれないほどの質問をさせて頂きました。金(きん)局長は、名古屋港にキャプテンとして何度も入港されていた経緯があり、とても親近感をお互いに持つことができ、会議室での質問に始まり、屋上での質問、そして海上を見ながらの船内での質問と会話が途切れることなく続き、数々の質問の中から即答できない質問もあるとのことで、後日、名港管理組合宛に回答を下さることになり、通訳さんが「宿題ができちゃいました。頑張ります。」とチャーミングに苦笑いをされておられたのが、印象的でした。帰りの飛行機では、疲れも重なり、吐き気を催すほどでしたが、それに耐えながら、血税で視察をさせて頂けたことに感謝しつつ、最後の最後まで、視察をさせて頂きました。吐き気と闘いながら、窓の外を必死でのぞき込み、上空からも数々の台湾の港湾を間近かに見ることができ、着陸時は、名古屋港(四日市や飛島・なべたふ頭)をひとつひとつ確認することができ、GPSハロー計であろうものも目視することができました。現地視察は、本当にハードスケジュールで、トイレに行くにも、荷物を受け取るにも時間の猶予がないにも関わらず、猛暑の中、時間通りにバスが到着していなかったり、早めに到着しても、現地は昼休み時間とのことで、猛暑の中を待たされたり、お国柄の違いも痛感しました。バスガイドさんが、「中国の人、ご飯の約束しても時間より遅れて来る。偉い人ほど遅れて来る。なぜか?卑しいと思われるから。日本人、時間通りに来る。恥ずかしい。」「時間の約束守らないと日本人すぐ怒る。中国の人遅れても絶対に怒らない。謝らない。空港で日本人と中国人の見分け方、すぐわかる。なぜ?ペコペコ頭下げる。電話に向かって、テレビ電話でもあるまいのに、ペコペコお辞儀している。すぐわかる。」と言われ、苦笑いをする一面もありましたが、新幹線も日本製の台湾仕様とのこと、大きな荷物を置くスペースがあり、絶大なる人気の日本車の性能の良さ等、これもすべて、まじめで誠実な日本人の国民性が生み出す『信用』という財産なのではと改めて、日本人である誇りを感じるとともに、世界の経済も日本が担っていることに自信を持ち、日本の良さをもっともっとアピールしていきたいと思います。市民の皆様、本当にありがとうございました。必ずや名古屋港の貿易高の向上・名古屋の発展のために生かしていきたいと存じます。