ご仏壇を被災地陸前高田市に届けるのに送料がかかるため困ったという陳情を受けました。私は、6月の現地視察時、「身内や身近な知人を亡くされ、家もお墓も流され、悲しみを通り越して、絶望的になられているのでは・・・」と、表現ができない感情に打ちひしがれ、涙が溢れ、止めどもなく流れ、頭が痛くなるほど、泣いてしまいました。自分の無力ささえ感じました。そんな中、このお話を頂き「ぜひ、私もお手伝いさせてください。届ける時も同行させて下さい。」と逆にお願いをさせて頂きました。「絶対にどんなことがあっても届けなければ・・」と固い決意で、その方々と別れたその足で愛知県トラック協会さんにお願いにあがりました。一年生議員、門前払いを覚悟でアポなしで訪問させて頂きました。やはり、会社にはご不在でアポなしには会えない旨を告げられ、帰されました。でも、一刻も早く、糸口を見つけなければと、その足で、ご自宅を尋ねたところ、父の時代からの繋がりもあってかと存じますが、快くご自宅に通して頂き、その方も「そうか、水や食料を愛知県トラック協会も運んだけれど、次に被災者が本当に欲しいものだなぁ」と鶴のひと声で、ご賛同を頂くことができました。
やる前に宣言することは本来は嫌で、実際に行ってから報告すべきだと思いますが、ここで一言お伝えしておきたいことがあります。常々団に対して申し出ていますが、思いが伝わらず、「またまた、うさみさんはいい恰好して!」と相手にして頂けていないため、逆に団に対して、既成事実を作りたい意味合いを込めて発表させて頂きます。私は、市議会報酬の差額分と名港議会報酬を団に預けていますが、その全額を被災地に寄付させて頂く所存でおります。少しでも被災者の方々のお役に、復興のお役に立てればと存じます。これも、本来は、名古屋市の血税でありますが、名古屋市会議員から名古屋市には寄付できない決まりがあり、お返しできませんので、これは、私からではなく、名古屋市民の皆様からの寄付です。ぜひ、ご賛同を頂けたらと存じます。私は、DV とか虐待という言葉もない時代に、夫からのDV・こどもへの虐待を受け、家も家財も売り飛ばされ、食パンの耳を食べても三人の子供たちを育てていこうと決意し、命からがら逃げて参りました。今、こうして命があり、子どもたちもなんとか育ったのも、本当にたくさんの方に助けて頂き、励まして頂けたおかげと、心より感謝しております。そのご恩返しがしたく、議員に立候補させて頂きました。こんな私が、と自分自身で思いますが、こんな私にもできることをと考えております。私よりも、もっともっと苦労をされていらっしゃる方が大勢いっらっしゃると思いますので、奥がましいとは存じますが、苦労した分、人の痛みがわかる気が致します。何事も感謝の気持ちを忘れず、今、自分が生かされている意味を忘れることなく、皆様のお役に、ひとつでも立てるよう頑張っていきたいと存じます。